昨年10月21日に『朝日新聞』に掲載されたコメントの一部が、最近刊行された本に再録されています。
国末憲人『ポピュリズムと欧州動乱 フランスはEU崩壊の引き金を引くのか』(講談社+α新書、2017年4月20日)
該当箇所は本書の43−45頁にかけて。
国末さんによるインタビューは『朝日新聞』に下記の形で掲載(「奉じる「自由」の不自由さ 東京大学先端科学技術研究センター准教授・池内恵さん」『朝日新聞』2016年10月21日付朝刊)されていたのですが、国末さんがフランス大統領選挙直前に刊行したした著作の中で、私の議論の核心部分を切り出して再録してくださっています。
ここで国末さんは、ムスリム同胞団の創設者ハサン・バンナーの血を引く、ヨーロッパ育ちのイスラーム思想家・活動家のターリク・ラマダーンとの議論を、私との議論と突き合わせて掘り下げ、ムスリムの権利の擁護を主張する議論が西欧の社会規範の前提となる自由を掘り崩すことになる危険性を問いかけています。
日本の西欧政治の専門家は、西欧の学問の世界で支配的なリベラルな前提や通念を拠り所に、イスラーム教の教義は本来はリベラルであり、非リベラルな思想は一部の過激派によるものであるとして、イスラーム教と自由・人権との対立的な関係は存在しない、そのような問題を「ポピュリストが掲げているということは、問題視することが間違いなのである」となぜか一方的に断定して議論することが圧倒的に多く、他の点では傾聴に値する諸先生型の議論に、突然落とし穴が開いていることも稀ではありません。
学者は実際には西欧社会のうちごく一部の、留学した大学の中の、支持した先生の研究室とその関係者、といった限られた世界しか知りませんので、実態を知らずに、聞いた話で、あるいは現地の有力な先生の言葉の端々から「空気を読んで」イスラームとはこうであるはずだ、と類推してしまいます。
西欧社会の規範とイスラーム教の規範がどう齟齬をきたすか、それがどういう形で政治問題化されるか、こそがまさに今問題となっているのですが、しかし肝心の底を対象化できていない議論を見ると、大上段にポピュリストの危険性を論難していればいるほど、白けてしまいます。そういう人が多いから、ポピュリストが力を持つようになるわけですから。
国末さんは、そういった「専門家」の通弊から脱しようと様々に思考を凝らしているようです。
まあフランス流の近代合理主義・個人主義を叩き込まれると、なかなかあの「神中心主義」による、「群れない集団主義」とも言えるイスラーム教の動員のプロセスは見えにくくなりますが。
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国末さんはすでにポピュリズムについての世界各地のルポを取り混ぜた『ポピュリズム化する世界 ―なぜポピュリストは物事に白黒をつけたがるのか?』(プレジデント社、2016年9月)を刊行していますが、今回はフランスの大統領選挙に絞り込んだ、いわば「選挙本」になっています。
選挙の背景のフランス内政についての読みやすい解説としてまとまっています。
奥付によると4月20日刊行ですが、本当に4月23日の第一回投票の寸前の、最終段階の情勢を踏まえて、「マクロンとルペンの対決」になりそう、という見通しを示しており、選挙後に読んでも違和感がありません。
私も新潮選書「中東ブックレット」で標榜している「オンデマンド」方式を何らかの編集体制で実現しているようです。