【寄稿】『週刊エコノミスト』の読書日記は『高坂正堯と戦後日本』:余談は歴史の秤について

本日発売の『週刊エコノミスト』の読書日記に寄稿しています。

週刊エコノミスト2016年6月28日号

池内恵「今、再び読み直される高坂正堯」『週刊エコノミスト』2016年6月28日号(6月20日発売)、57頁

先日、「いただいた本」でも紹介したこの本ですね。

私は通常、「いただいた本」は書評しない(自分が選べる立場の時には選ばない)のですが、この本については、気にしなくていいかと思いまして。テーマとなっている高坂正堯は20年前に亡くなっていますし、書いている人たちは別にこの本で私に取り上げてもらわなくても一向に構わないでしょう。極端に忙しい人達がこれだけ集まってよく原稿を集められたな、本が出たな、と奇跡のように思うだけです。(最近やたらと要求される)「業績」などにたとえなりにくくても、この本については書くに値するテーマだから、「頼まれ仕事」のやっつけではなく、本気で書いているということが分かるる本です。

読書日記で取り上げたいと思った理由には色々ありますが、一つ挙げますと、高坂が正面から読み直されるための時間が経ったんだな、と実感したことがあります。

時代が変わったということもありますが、世代が変わったというのも大きいと思います。高坂という人は、テレビに出る学者の先駆けでしたし、科学志向が強まった政治学のその後の展開と対比されると、一昔前の人文主義的な時代の様相を色濃く残しています。そのため、著名で影響力があり尊敬されていたとともに、今でいう「ディスられる」ことも多かった人だと思います。

インターネット・SNSの普及の前に亡くなった優雅な政治学者・高坂正堯について「ディスる」などという下賤な言葉を使って評するのは適切ではないかもしれませんが(ですので読書日記ではこんな単語は使っていません)、もちろん昔も今も、「ディスられる」のは、有力さの証です。

ただ、「ディスる」「ディスられる」関係も、やがては終わります。それは主に、「ディスる側」が年をとるからです。

年をとって元気がなくなるというだけでなく、「ディスっていた側はそれじゃ何を残したの?」ということを、残酷に問われるようになるのです。それが時の試練です。

盛大にディスって、それによって高坂を超えた、あんなのはもう古い、と言うことで自らの営為に価値を示すことができたのは、逆にいえば、高坂にそれだけ価値があったからです。だからこそ高坂に対するアンチにも価値が出る。

やがて、一度高坂が忘れられると、それに対するアンチの立場を取っていた人たちが、単独で、どれだけのことを成し遂げたかが問われるようになります。時の経過によって、ディスっていた側も高坂と同じぐらいの年齢、いやはるかそれ以上に齢を重ね、高坂と比べるとずっと遅くに一線で活躍の場を得た人でも、かなり長い年月のキャリアを重ねることになります。高坂よりもずっと重い地位や役職を得るようになるかもしれません。その時に、それにふさわしい仕事を残せたか。もうそこには、批判することで自らの価値を測ってくれる相手はいません。

高坂正堯は、今考えてみると、非常に早世しています。20代の終わり頃からずっと活躍していましたから30年近く第一線で活躍したことになり、ずいぶん長いキャリアがあるように見えますが、実際には京大教授在職中の現役真っ盛りの時期、壮年と言っていい年代に亡くなっています。亡くなった頃は、活躍の絶頂期でしたから、「アンチ」も多かったでしょう。当時、今よりも深く激しかった、大学人の間の政治的な党派対立の文脈と、学問的な価値をめぐる論争の文脈を知らずにあるいは意図的に混同させた批判もあったでしょう。

しかし、高坂的なものも、アンチ高坂的なものもどちらも同等に「もう古い」と言ってしまって良いぐらい古い、歴史の一部となると、その上でどちらが現在の我々に大きなものを残しているかが、繰り返しますが、残酷に、何のこだわりもない次世代に評価されるようになります。

そして、残酷な時の評価の秤で、高坂の乗った秤の皿はどれだけ重く傾くのか?

これについて評価することは、むしろ評価する側の真贋が多く問われる、大変怖い営為になります。そのような緊張感がこの本に漲っており、そして、その緊張感に耐えられるだけの余裕を持った書き手が集まったから、この本ができたのでしょう。

結果的に、高坂の文章が醸しだしていた、歴史の審判に晒されることに対する恬然とした「余裕」こそが、この本の各章に共通するものとなったのではないでしょうか。