「イスラーム国」は日本の支援が「非軍事的」であることを明確に認識している

「イスラーム国」による日本人人質略取・脅迫事件は、人質二名の殺害という結果に終わった。

今回のテロ事件の発生に関して、安倍首相の中東歴訪およびその間の発言が事件を引き起こした、あるいは少なくとも「口実を与えた」とする議論が提起されている。

因果関係論であれ、責任論であれ、事実に基づいて行う必要がある。

最大の論点であり、また誤った情報が流れているのは次の問題に関してである。すなわち、安倍首相が1月17日のエジプトでの演説で提示した「イスラーム国」と戦う周辺諸国への経済援助をめぐる表現が、「非軍事的である」ことが明確だったか否か、という問題である。

演説で示した経済援助の「内容」が非軍事的であったことは明瞭なので、論点は「表現が適切であったか否か」である。

そして「テロ組織を刺激した」「テロ組織に口実を与えた」かどうかが論点であるようなので、ここでは「『イスラーム国』がどう受け止めたか」に議論の対象を絞ろう。そもそも「イスラーム国」の受け止め方が正当なのか、中東やイスラーム諸国の受け止め方を代表しているのか、「イスラーム国」の受け止め方を考慮して政策や表現を決めなければならないかは大いに疑問があるが、ここは百歩譲って、「『イスラーム国』はどう受け止めたか」を検証してみよう。

さて、このように問題の核心を定義した上で、まともに情報を分析すれば、答えは異様なまでに簡単に出る。

「イスラーム国」は安倍首相が中東歴訪の際にエジプトで表明した「イスラーム国の脅威と戦う周辺諸国」への援助が「非軍事的」であることを明確に認識している。

ある武装組織が、敵とする政府の政策をどう認識しているかが、ここまで明瞭に証拠として残っていることは滅多にない。極めて興味深い事例なので、写真も交えて、分かりやすく解説してみよう。

「イスラーム国」が安倍首相の発表した中東諸国支援、特に「イスラーム国」周辺諸国への支援が非軍事的であることを認識していることは、1月20日の第1回の脅迫ビデオで明瞭にされている。

ビデオは当面このページから見られるので、容易に検証可能だ。

ここは各社が互いに追随して同じ過ちを犯す日本のメディアの重大な取りこぼしなのだが、どの報道も、黒覆面の処刑人(ジハーディー・ジョン)が読み上げる脅迫・声明文のみに注目した。英語で語る文面が日本語訳され、無数に日本のテレビに映し出され、読み上げられた。

しかしそれらは「イスラーム国」が何を主張したか、に過ぎない。

「イスラーム国」は日本の何を問題視したのだろうか?安倍中東歴訪のどこに文句をつけ、殺害・脅迫を正当化したのだろうか?そして、安倍首相が演説で発表した中東諸国支援策をどのように受け止めて問題視したのだろうか?

これは簡単に分かる。

1月20日のビデオの冒頭の部分を見ればいい。

日本のメディアで繰り返し流されたのは、いわば脅迫ビデオの「本編」である。後藤さんと湯川さんを座らせて、黒覆面・黒装束の男がナイフを掲げて脅す「本編」の前に、いわば「導入部」がある。導入部では安倍首相中東歴訪のニュース映像が引用され、アラビア語のニュースサイトが切り取って映し出される。この導入部が日本のメディアでほとんど報じられず、その貴重で興味深い内容が分析されないので、本来は存在しないはずの議論が沸き起こるのである。つまり、「非軍事的であることが伝わったのか?」という議論である。

きちんと脅迫ビデオを見れば、アラビア語と英語がある程度できれば、問題は簡単過ぎるほど簡単に解ける。最初の10数秒で答えは出てしまうのである。「イスラーム国」自身が、日本の2億ドル援助は「非軍事的」であると認めている。認めた上で「であるがゆえに、ジハードの対象とする」と主張しているのである。日本が軍事的になったからイスラーム国に狙われた、とする議論は、根拠がないことがわかる。非軍事であってもジハードの対象とする、というのが今回の脅迫の趣旨なのだ。

1月20日脅迫ビデオの「導入部」を見てみよう。

場面(1)冒頭の誓約

 冒頭にまず「神の御名において」という定型的な宗教的誓約文が出てくる。これは「イスラーム国」に限らずあらゆる出版物や映像に用いられているものである。

1月20日脅迫ビデオ1

場面(2)NHKワールドのニュースを引用

 次に、NHKワールド(英語国際放送)のニュースから映像が切り取られ、安倍首相のエジプト・カイロでの演説の一部が引用される。日本のアナウンサーが読み上げる英語ニュースに、「イスラーム国」がアラビア語で字幕を付けている。

NHKのキャスターが首相中東歴訪の意義を紹介する部分が切り取られている。

“He has announced a multimillion dollar aid package to the Middle East and expressed concern about the spread of extremism in the region.” (首相は中東への数百万ドルの支援パッケージを発表し、過激主義の中東地域への広がりへの危惧を表明しました)

「イスラーム国」のつけたアラビア語は英語に忠実に訳しています。

1月20日脅迫ビデオ2

1月20日脅迫ビデオ3

場面(3)BBCアラビア語放送のウェブサイトを画像で取り込み

 ここでNHKワールドの音声は流しながら、画面にはBBCArabi(英BBCが放送するアラビア語国際放送)のウェブサイトの安倍エジプト訪問の記事が映し出される。これが動かぬ証拠。

1月20日脅迫映像4BBCArabi

 ここで切り取ってくるBBCArabiのホームページはこれです。アラビア語のタイトルから検索すれば簡単に出てきます。

1月17日安倍首相エジプト訪問BBCArabi

http://www.bbc.co.uk/arabic/middleeast/2015/01/150117_japan_pm_mideast

両者を見比べてみましょう。脅迫ビデオには、英語が付いていますね。元のBBCArabiの記事にはありません。アラビア語がわかる人向けの放送局のウェブサイトだからです。しかしこの脅迫ビデオは日本と世界に向けているので、全編にわたって英語とアラビア語の二言語になっています。アナウンサーや登場人物が英語でしゃべるところにはアラビア語の字幕がつき、逆にアラビア語のホームページの画面を切り取ってくる時は、英語で訳を付けているのです。

右上の記事タイトルはアラビア語で「安倍が「イスラーム国」との戦いを非軍事的支援で支える」となっています。

これに「イスラーム国」が付けた英訳では、アラビア語原文に忠実に、あるいはむしろ若干BBCArabiよりも正確に、「Abe Pledges Support for the War against Islamic State with Non-Military Aid (安倍がイスラーム国との戦いに非軍事的支援を約束した)」とあります。「イスラーム国」に「 」をつけていないのは、「イスラーム国」側が自分たちは真のイスラーム国であると主張しているからでしょう。そこだけがアラビア語原文と異なっています。

重要なのは、「イスラーム国」が意識的に付けた英訳で「Non-Military(非軍事的な)」と明記されていることです。「イスラーム国」が情報収集に使うアラビア語や英語のメディアからの情報を正確に受け止め、安倍首相が発表した支援策が「非軍事的な」ものであることを認識していることが明瞭になっています。

安倍首相が「イスラーム国」周辺諸国に2億ドルの軍事援助を行うと誤解されたからテロの対象になったのではなく、2億ドルが非軍事的援助であることを「イスラーム国」が明確に認識していながら、なおも日本・日本人をジハードによる武力討伐の対象としたと宣言した、ということがここから明らかです。そうであるがゆえに事態は深刻なのです。

「テロと戦っている周辺諸国」を支援するという表現を用いたからテロ組織に目をつけられた、という批判もあるようですが、安倍首相が演説で日本語で用いた「戦っている」に、外務省(あるいは首相側近のスピーチライター)はfighting againstではなくcontending with という曖昧にぼかした英訳を付けています。contending with を用いることで、「戦う」だけではなくもっと広い意味で「取り組む」「立ち向かう」という意味を含ませたのでしょう。「イスラーム国」に対して明確に軍事的に対処するヨルダンやサウジアラビアなどと、トルコやレバノンなどのように正面から政府が軍事的に対処することを回避しながら立ち向かっている国があり、それらがいずれも治安の不安定化や難民の流入に苦しんでいるので、それらの国々の取り組みをまとめて表現するには、contending withというぼかした表現は適切です。

 「イスラーム国」は脅迫ビデオでcontending withという安倍首相の発言(英訳)を問題にしていません。

安倍首相の演説シーンからは次の部分を切り取ってきています。再びNHKワールドのニュースより。

場面(4)安倍カイロ演説からの引用

1月20日脅迫ビデオ5首相発言部分

“The international community would suffer enormous damage if terroirsm and weapons of mass destruction spread in the region” (テロと大量破壊兵器がその地域に広がれば、国際社会は多大な打撃を受けるだろう)。「イスラーム国」がつけたアラビア語字幕も原文に忠実です。

中東に行った各国首脳が、現地国首脳と同意できる、よくある表現です。「テロと大量破壊兵器の脅威」を表現したから「イスラーム国」が怒った、というのであれば、ほぼ全ての国の首脳が「イスラーム国」を怒らせていることになります。

なお、ロイターやBBCの英語版では、本文ではきちんとcontending withを使って報じているのですが、タイトルではbattling withを使っている場合があり、対立図式を明瞭にして報じたきらいがあります。おそらくそういった英語版を踏まえたBBCArabiではさらに大げさにWarを意味するharbにしてしまっていて、そこからイスラーム国を刺激した可能性はあり得ると思いますが、それは対立図式を明瞭にしたい英語圏メディア、対立についての微妙な表現がほとんど使われないアラビア語圏メディアに、より大きな責任があると言えます。外務省はきちんと訳しているのですから。記事のタイトルでは面白くしたいので対立を明確にしたのですね。

もちろん英語圏メディアが対立図式を明瞭にして報じ、アラビア語メディアがそれをもっと単純化することも考えて発言しろ、という批判はあり得ますが、現に「イスラーム国」と戦っている諸国を歴訪して、日本は旗幟鮮明にせず逃げ隠れしてお金ですます、というのは現地の政府から評価を受ける姿勢ではないでしょう。

重要なのは、「イスラーム国」がある意味最も冷静で、「非軍事的」であることを認識し、英訳できちんとそう記しているということです。

そもそも「イスラーム国」が「非軍事的」と言っているのに、「自分には軍事的に感じられる」と騒ぐ人は、一体どうしているんでしょうか。

ワイドショーやニュース番組などのいい加減なフリップが作る「空気」に流され、検証がないままに、多くの論者がいつの間にか「軍事的な援助だと誤解された」という無根拠な情報を事実であるかのように信じて議論をしてしまっている。それが国会論戦にまで反映されてしまっている日本。それに比べて、紛争地の武装集団に過ぎない「イスラーム国」の方がはるかに情報収集・分析力において優れている、という気がいたします。

【議論する前に、安倍カイロ演説の全体をまず読んでみたらいかがだろうか。「中庸」を連発して、エジプトで対立する軍とムスリム同胞団のどちらにも与しないよう、限りなく腐心しています。「安定」を司る現政権の軍部に一歩歩み寄りつつ、ムスリム同胞団など穏健派を切り捨てないようにしている。外務省の細心の注意が偲ばれる文章です。これで巻き込まれたのは災難としか言いようがない】

日本語版
「中庸が最善:活力に満ち安定した中東へ 新たなページめくる日本とエジプト」2015年1月17日、於・日エジプト経済合同委員会

英訳版(翌日日付)
“Speech by Prime Minister Abe “The Best Way Is to Go in the Middle”